第一話/ザニー
白髪の男が、樞人形のように歪な動きで俺に手を伸ばす。そいつは白髪だと言うのに、妙に年齢は若いようだった。
男の身体には無数の絃が絡んでいる。
舞台は回るばかり。
歯車を合わせろ、歯車を合わせろ。
ギ、ギィ、と錆びた音を歯車が立てた。
*****
「あっらまぁ、すーぴー寝ちゃってさぁ……。そろそろ降りるってのに」
俺は隣の席に座っている少年の顔を見遣る。
見れば見るほど美少年。しかし実際に会話をするとものすごい皮肉屋。
そんな彼、ルシアと任務を共にすることになったワケだが……
悪魔祓いとしちゃあすごいんだろうけど、わりと普段の素行は一般的な世間知らずでなので、フォローすべきかどうかどうも判断に困る。
今も試しに名前を呼んで起こしてみたら、案の定機嫌を悪くされた。
そもそも俺がルシアに同行するというお達しを教会の広間で正式に言い渡された時から機嫌が悪かったかもしれないという仮定は、当たっているだろうけど知らないふりをしようと思う。
その上、俺が使える奴かどうかを見極めようとしているのか、じっと見られるときがあるので思わず、
「なーに? あんまり見られるとお兄さん照れちゃうんだけど」
と茶化してしまって、おそらく嫌われ度メーターを上げている。
俺としてもそんなに仲良くできるかどうかは未知数だから、お互いさまなんだろうけれど。
ルシアに対してどういう態度をとればいいのか、俺はまだ決めかねている。自分が根に持ってる感情に折り合いをつけられるかどうか。
こちらを睨んでいるルシアに向かって、俺は困ったように笑うしかなかった。
今回の任務は女性の失踪事件の調査、ということだ。この任務が言いつけられたとき、面倒くさい取り合わせを選んだものだと正直俺は思った。たぶん俺とルシアの因縁なんて、教会のお偉いさんの知ったことではないのだろうけど、それにしたって雑な組み合わせだ。
最上級悪魔祓いと最下級悪魔祓いを一緒の任に就かせれば中級悪魔祓いくらいの働きができるだなんて思っているのだろうか。まるで四則計算みたいな考え方だ。俺たちは数式では扱えない、相性の問題を抱えていると言うのに。
汽車がゆっくりとスピードを落とし始めたので、俺はルシアに声をかけながら荷物をまとめる。忘れ物のないように座席を見回し、席を立った。
*****
ひなびているというか、なんというか。
失踪事件のせいで街の雰囲気が暗くなっている、なんて解説でも入れたいところだけれど、まず人がいない。これだと聞き込みもままならないし、どうしたもんか、と思っていると
「ザニー」
ルシアが俺の名前を呼んだ。この辺りがわざとなのかなんなのか。
普通親しくない人間に対しては名字で呼ぶものだと思っていたのだが、このルシア坊っちゃんはどういうわけか初対面の時から俺の事を「ザニー」と呼ぶ。昔、墓に埋めてきた”弟”の名前を呼ばれると、どうにも仮面が剥がれそうになって調子が狂う。
「るーくん、出てくる前にも言ったじゃん。ザニーなんてごつい名前嫌いだから、クラウス、って呼んでって」
我ながら苦しい言い訳だと思いながらそう言うと、ルシアは決まって
「良いじゃない、ザニーお兄さん。僕なりの親愛のあ・か・し」
と冷やかすばかりで訂正しない。
絶対そんなこと思ってないのが丸わかりなのも、地味に傷つく。でも傷ついてる自分にも違和感を覚えるし、なんだかよくわからなくなってくる。
俺が心中複雑でいると、ルシアが右手を出してきた。
「最後の被害者の遺留品。ザニーが持ってるんでしょ」
俺が何に使うんだろうと首を傾げながら花の髪飾りと絹のスカーフを渡すと、そこから先は人間ビックリショー……というより悪魔祓いビックリショーが始まってしまった。
ルシアはつま先をとんとん、と二度動かし、厳めしい文言とともにもう一度強く大地を踏み鳴らした。それと同時に溶岩のような赤い光が複雑な陣を描きながらルシアの周辺を包んでいく。
液体が沁み渡っていくように光は広がっていき、完全な円環を形成すると、吸いこんだら身体に悪そうなドス黒いもやのようなものたちが湧きあがってきた。
歪んでいるような、玩具のような、ガラスを引っ掻いたような、様々な声……というより、音がルシアに話しかけ、ルシアは黒いもやたちを完全に掌握しきった状態で話を進めていっているようだった。
……ほとんど脅迫に近かったけれど。
「僕がその気になれば、お前らを二度と復活しないように消し去る事も簡単なんだよ? ……もう一度だけ聞く。青髭の場所、教えてくれるね?」
脅迫に近いと言うより、脅迫だった。ルシアは悪魔相手にまったく動じることなく微笑む。
「……はいか、死か。ご理解は?」
悪魔相手によくそこまでやれる。最上級悪魔祓い様のその笑みは、悪魔の微笑みそのままだった。
黒いもやたちはどうやら堪忍したらしく、ルシアはそれを追って走り出した。
「って、早ッ!? 待ってー! るーくん! パートナーを置いてかないでー!」
*****
「ぜぇ……はぁ……っ! 若いっていいわねー……」
市場の辺りまで来ると、なんとなく嫌な気配が漂い始めていることに気づく。
「確かに目標には近づいてるんだろうけど……なんでこう……せっかちなのかね……あんな黒いもやを引き連れて、そんなに鬼気迫る顔をして走り続けてたら……」
市場の屋根を支える支柱に寄りかかっていた男が、ふいにルシアの姿を認めて逃げ出した。
「あーもう、ほら、見つかってるし……ったく、しょうがないなぁー、第二ラウンドッ!」
俺がもう一度速度を上げて走り出すと、男とルシアは路地の方へ曲がって行った。
後を追って曲がると、逃げている男が二階相当の高さの壁を飛びこえている最中だった。そしてルシアは当然のようにその後へ続こうとする。
「ちょ、ちょっと、るーくん!そんなの、無理!」
「無理って何!?」
「そんな壁登れないよ!待って、回り道探そう!」
それにこの壁の高さだと見えない向こう側に何か待ち構えていた場合、戦うのは難しい。壁に乗ったはいいけれど、そこで集中攻撃に遭っても危険だ。ルシア自身はムキになっているけれど、ここまで相当走ってきた分の体力消耗もハンデとして足を引っ張るだろう。
残る問題は青髭がどこまで逃げるか、だ。あと少しで奴のアジトというのなら壁越えくらいしてやろうとも思うが、まだかなり先まで逃げるとなると、こんな無茶な身体の使い方をしていたらもたない。
けれど、短い間にそんな会話ができるはずもなく、ルシアは完全に俺に「使えない奴」判定を下して怒鳴りつけてきた。
「ああそう、じゃあアンタは後からゆっくり来れば!!」
そう捨て台詞を吐いて、ルシアは壁を乗り越えはじめた。
「そんな訳行くかぁ、馬鹿ー!」
そう悲鳴を上げながらルシアが壁に上った瞬間、迎撃のためにホルスターの聖水に手をかけるが、何事もなく彼が隣の屋根へ着地した音を聞き、俺は汽車の中で見ていた街の地図を思い浮かべ、思考を巡らせる。
この方向できな臭いとするなら、あの場所しかない。――街の外れの洋館。
数十年前に金持ちが亡くなって以来、誰もいかなくなったという場所。青髭を名乗るのなら、うってつけだ。そして、
「この壁、やっぱ越えないと近道ないや……」
チッキショーと俺はやけっぱちに一度屈伸すると、壁に飛びついた。
*****
日が沈みかけている。微かに残っている夕陽がルシアの足跡を照らし出していることを確認しながら、洋館へと向かっていた。
人から打ち棄てられた場所には、自然と人あらざるものが集まる。闇が濃くなっていく中で、闇とは明らかに違うものたちが見えてくるのも仕方がない。
ルシアが案内に使っていた悪魔が洋館の方角からひらりひらりと黒いもやとなって現れ、俺に語りかけてくる。
『……もう一人、みっけ』
『今日は、いっぱいお客様くるね』
「やめろ、俺に構うな!」
俺は纏わりつくもやを振り払いながら走り続ける。ルシアと違って俺にはそのまま悪魔の声を聞く能力はない。
ということは、この悪魔たちの声は向こうがわざわざ俺を悪魔憑きにしようと目論んで話しかけている言葉だ。
悪魔たちはルシアに対してのように、俺を畏れたりしない。
それはきっと俺が――
『うふふ、さっきの仔は怖かったけれど』
『君はとても、僕らに似てる』
「うるさい……俺は」
『知ってる! Dusty Zanyは悪魔の子!』
『Dusty Zanyは悪魔の子! あはは!』
とても彼らに似ていると、互いに理解しているからだ。
「――黙れよ、兄弟」
俺は短剣を引き抜く。
「俺はどうもムキになりがちなんだ。”弟”の事を言われるとね」
鈍い光を放つ短剣を構え、俺は嘲笑った。
「今、全員祓ってやるからさ」
途端に黒いもやははっきりと悪魔の形を成し、大きく口をあけて襲いかかってくる。
まるで赤ん坊が駄々でもこねるみたいなみっともない唸り声を上げ、異臭の漂う口内へ俺を放り込もうとするが、その鼻筋から喉笛までを俺は切りつけた。
悪魔の姿が揺らぎ、黒いもやが零れ出す。
今度は首を落とすように横に短剣を深々と突き刺すと、十字の形に切り刻まれた悪魔の身体がごろりと地面に転がる。
ぎょろぎょろと意味もなく回り続けている目玉を抉るように短剣を差し込むと、唸り声が一度強まり、そして徐々に弱まって最後には何も聞こえなくなった。
「……急がないと」
*****
見えてきた洋館の扉は開いており、
「助けに来てくださったんですね!神父様!」
という女性の声が聞こえた。正確には、悪魔に操られている女性の声が聞こえた。
柔らかな声の中にチリチリと焼け焦げた死体が発しているような、わざとらしい響きが混じっている。
俺は咄嗟に強く足を踏み出して、洋館の中に飛び込んだ。
「ルシア!!」
ルシアと、それに覆いかぶさるようにして悪魔憑きの女がにいっと笑ったのが見えた。
俺にはこの時点で二つの選択肢があった。見殺しにするか、助けるか。
そう、どちらだって選べたはずなのに、いつの間にか俺は悪魔憑きの心臓を短剣で突き刺していた。
「ア……ンタ、何してる!!」
「馬鹿、よく見ろ!!」
まだ女性の正体に気づいていないルシアが俺に掴みかかってくる。
俺はようやく、この少年は恐らく勝てる戦いに勝つべくして勝ってきただけなのだ、と気づいた。
サントラル教会最年少にして最上級悪魔祓いの称号を得た、ルシア。
魔女サビエナの惨劇の生還者として、異能の者として、その実力とともにお膳立てされた聖少年。
その境遇に、彼自身が気づきもしない。そんな砂糖漬けのお坊ちゃんを、俺はなんで助けたんだろう。
「……るーくんってば、最上級悪魔祓いのくせに、悪魔憑きも見分けられないんだ?」
「……わかるよ。ただ、悪魔憑きは、人間っていう殻の中に悪魔がいるから……ぱっと反応できないだけ……」
「悪魔の声が聞こえるって話は知ってるけどさ、耳に頼りすぎじゃないの? あんなの、悪魔憑きの常套手段でしょ? よく今まで生き残って来れたよね?」
――よく今まで生き残って俺の前に現れてくれたね?
と、言いそうになっている自分に気づく。まったく、俺は彼を歓迎してるのか、嫌悪してるのか。
図星を突かれたのか、それとも癇に障ったせいなのか、ルシアはまた大きな声を出した。
「何も知らないくせに、勝手なこと言わないでくれる!?」
「知らないよ!!」
本当は嘘だ。君のこと、俺は知ってる。君のその人形みたいな姿を忘れた日なんてなかったよ。
けれど、その瞳が真っ赤な色をしているなんて知らなかった。
そんなに性格が悪いなんて知らなかった。
それほど無防備に生きているなんて知らなかった。
結局俺は、君を知っていても、君の中身は何にも知らない。
「何にも知らないけど、今君を殺させる訳にはいかないんだよ!!」
まだ”僕”は、君の価値を知らないから、生きていてもらわなくちゃいけないんだ。
過去の記憶の、幼い少年がじっと俺を見ているような気がした。
捨てた十字架に寄り添って死んだ、“弟”の魂が俺を見つめているのだ。
俺が切り裂いた女性の身体から流れ出した黒いもやが、大男の形となって俺たちの前に立ちはだかる。
ルシアが口を開いた。
「……ちょっと、どいてて」
「え?」
「……あいつ、倒す。だから、どいてて」
大丈夫なの? と疑わしげに問うとルシアは、
「平気。さっさと終わらせる」
先ほどとは打って変わって頼もしい口ぶりでそう言った。
こっちの出る幕は終わったな、と思い俺は短剣をホルスターに戻し、後ろに退いた。
ルシアは凛とした声でルシファーの名を呼んだ。彼らは二言三言会話をしたのち、一つになった。
彼の瞳の色が深まり、爪は猛禽類のように鋭く伸びていく。
こめかみに現れた角は硬質そうで、突き刺されば命はないだろう。
「――ルシファー、ね」
*****
藁ばかりが積んである小屋の中で、兄さんと話していた時の事を“僕”は思い出す。
『ルシファーって強いんでしょ? 兄さんも呼べるの?』
僕がそう質問すると、兄さんは苦笑しながら答えてくれた。
『ザニーは痛いところをつくね。残念だけど、俺には呼べないよ』
『どうして? 兄さんは上級悪魔祓いなんでしょ?』
『そうは言っても、俺は人間だからさ。人間は、悪魔に対抗する力を持ってはいるけど、悪魔を根絶することはできないように、どこまでも人間と悪魔は相容れないんだよ。従えられる悪魔にも、限度がある』
兄さんは大きさを測るような仕草をして、僕に説明する。
『その限度ってみんな一緒なの?』
『んー、みんなバラバラ、かな』
『どうやって決めてるの?』
そうだなぁ、と兄さんは困ったように少し考え込んで、それからこう言った。
『単純に、俺の魂は悪魔受けしないんだよ』
『悪魔受け?』
『強い悪魔たちは、もっと純粋な、強い魂が欲しいと思ってるってこと』
*****
悪魔化したルシアの指先から閃光が放たれた。その光が、まるで彼の魂の輝きを表わしているようで、俺は息を呑む。
断末魔が鋭く玄関ホールに響き渡り、光の収束と共に青髭はかき消えていた。
ふいに、人間の姿に戻ったルシアが咳き込み始める。俺は慌てて駆け寄って彼の背中をさすった。
「だ、大丈夫か? 大丈夫?」
すると、ルシアはそんなことを言われるとは思いもしなかったような顔をして、は? と俺に聞き返してくる。
「いや、何、は? って。大丈夫なの? 動ける?」
俺も俺でルシアの意図が掴めずに聞き返してしまうと、呆気にとられたようにルシアは呟いた。
「……怖くないの……?」
「は?」
思わず同じ言葉を返してしまう。
「……いや、何、は?って。……だって、あんな姿、見といて……何、心配してんの……?」
心配。ルシアの口からその単語を聞いた時、ようやく彼が心配されることに戸惑っているとわかった。
心配され慣れていない、と言うべきか。その気持ちが理解できなくもなかったので、“僕”は安心して茶化すことにした。
「え!? なに!? 見られたくない姿だったの!? も、もしかして全裸より恥ずかしい!? 俺ってば、るーくんのことお嫁にもらわなきゃダメ!?」
驚いているのが阿呆らしいとルシアが思えるように、“僕”は道化を演じる。
“僕”の滑稽な劇を見て、ルシアは笑った。
「ふ、ふへ……そ、そういう……ことじゃない……けど……」
――ああ、彼は笑うことにも慣れていない。
“僕”が彼を知るには、もう少し時間が必要かもしれない。
*****
青髭の根城となっていた洋館を調べたが、ルシアに襲いかかっていた女性以外、息のある人間はいなかった。
一度街へ戻って、人手を借りないと埋葬も難しいだろう。
俺は気を失っている女性を背負い、ルシアと共に街灯一つない田舎道を歩いていく。
ふと、俺が着ているケープの裾が引っ張られた。
「んー?」
俺がルシアに問うような声をかけると、妙に緊張しているような声色で、彼は俺の名前を呼んだ。
「……ザニー」
「どしたの、るーくん」
一瞬、彼が俺の事を思い出していたらどうしようか、と考える。
そもそも彼が眠っていた時にしか会っていないのだから、知っているはずはないのだけれど。
そんな俺の危惧をよそに、ルシアはぼそぼそとこう言った。
「……その、今日は、ありがとう。助かった。……あと、ごめん」
お礼を言われるようなことは何もしてないよ。ただ、君の後ろを走っていたくらいしかしていない。謝る必要もないよ。ただ、君は君なりに一生懸命だった結果なんだろうから。
ルシアにかける言葉をいくつも考えたけれど、どれもなんだか恩着せがましくなってしまったので、最終的に、
「いーんだよ、俺ら、パートナーだからねー」
と小さな声で答えた。街の明かりが徐々に見えてくる。
それと同時に、夜空に昇る三日月の光が微かに弱まったような気がした。