昔日のフュネライユ

第一話/ルシア

 疲れている時には、必ず見る夢がある。
 深く大きな穴の傍らで、黒い服に身を包んだ人物が、何かを求めている夢。

 ――疾く、疾く。

 その人物は、夢見るような、しかし嘲るような声色で、何かを呟いている。

 ――疾く、歯車を回せよ、仔羊。


*****



「るーくん!」

 突然耳を叩いた声に驚いて目を覚ますと、目の前で、気の抜けた面が笑った。

「おはよーさん。そろそろ着くけど……、もしかしてるーくんってば、汽車に乗ると寝ちゃうタイプ?」
「……別に。……昨日、任務から帰ってきたばっかりだし、疲れてただけ」
「あー、そっか、連日の任務だもんな、大丈夫?」
「……大丈夫」

 寝起きの目を擦りながら、改めて、目の前に座る男を眺める。
 昨日、任務に同行する同僚として紹介された男。
 名前は確か、ザニー・クラウスと言ったか。
 年上の様だが、どうも頼りにならない雰囲気だ。
 しかも、制服を見るにこの男、最下級だ。本来最下級の悪魔祓いは、悪魔の召喚が出来ない事務員ばかりのはず。
 最下級を任務にかり出さなければいけないほど、教会が人員不足だとも思えないけれど……。
 まじまじと目の前の男、ザニーを見ていると、ザニーはへらり、と相好を崩した。

「なーに?あんまり見られるとお兄さん照れちゃうんだけど」

 この男のこういうところが、非常に気に障る。
 うるさい男と口の軽い男は僕の大嫌いな部類だ。
 最悪なことにこの男はその両方を兼ね備えている。
 特にこの男の場合はどうも空々しいことこの上無い。
 僕が余程険しい顔をしていたのか、ザニーは少し困ったように笑った。
 僕はその笑顔を避けるように、手元の小さなスペースに無造作に広げてあった、今回の事件の資料に目を落とす。

「……女性の失踪事件ね……」

 今回の事件は特に何てことはない、ありふれた連続失踪事件だ。
 田舎の小さな町で、若い女性が相次いで謎の失踪を遂げた。
 警察でも足取りはつかめず、結果悪魔の仕業と言うことで教会に要請があった。
 ……本来この程度の事件は、中級悪魔祓いに回されるはず。一応最上級悪魔祓いである僕に回ってくるレベルの事件ではない……。
 そこまで考えて、ちらりとザニーを盗み見る。
 おそらく、この男のせいだろう。最下級の悪魔祓いと僕では、任務レベルが釣り合わない。折衷案としてこの任務を回されたに違いない。
 ……保護者はどっちだか。
 暗鬱とした気持ちで資料をとんとん、と整えていると、汽車がゆるりとスピードを落とした。
「あ、もう着くね、るーくん。ほら、荷物まとめてー」
 ザニーはてきぱきと荷物をまとめて、席を立つ。僕も少し遅れて席を立った。
 動きを止めた汽車の外には、のんきな風景が広がっている。


 降り立った駅前の広場には人影も少なく、どこか寒々しい空気が蔓延していた。
「ザニー」
 そう声をかけると、ザニーは少し眉をしかめた。
「るーくん、出てくる前にも言ったじゃん。ザニーなんてごつい名前嫌いだから、クラウス、って呼んでって。」
 不満げにそう漏らすザニーに、口の端だけを上げて反論する。
「良いじゃない、ザニーお兄さん。僕なりの親愛のあ・か・し。」
 口から出た言葉は、想像以上にからっぽに聞こえたが、そんなことはどうだっていい。
 複雑そうな顔をするザニーに向かって右手を突き出す。

「ん」
「るーくん、なにこの右手」
「最後の被害者の遺留品。ザニーが持ってるんでしょ」

 ザニーは少し間を開けて、ああ、はいはい、と鞄の中から紙袋を取り出した。
 中には最後に消えた被害者の写真と、さらわれた時に落としたとみられる髪飾りとスカーフが入っていた。
 これだけ手がかりがあれば、下級悪魔でも事足りる。
 僕は手ごろなスペースを見繕って、召集の準備を考える。

「あ」
「な、何何、どうしたの、るーくん」
「そこ、邪魔」

 視界の端に手持無沙汰に立っているザニーに、退けるように指示する。
 ザニーは不思議そうな顔で、

「何の?」

 と聞いてくる。これだから、普段召喚の一つもしない奴は。

「魔法陣の邪魔になる。今から下級悪魔集めて情報聞くから、どいてて」

 ザニーは、おお、と少し声を上げて、少し離れた場所に移動した。
 これで場は問題ない。
 とんとん、と、つま先を二度ほど地面に打ち、靴の位置を整える。
 この靴底には、悪魔を呼び集めるための陣構成があらかじめ組み込んである。
 音声命令と共に打ち付ければ、すぐに陣をくみ上げられる代物だ。
 他の悪魔祓いは杖や剣で陣を構成するらしいが、どうもああいった仰々しいものは好きじゃない。
 別に、自分の背が小さいから長物は不恰好に見えるだろうな、という思考ではないので誤解しないでほしい。
 中級までの悪魔なら、この陣で呼び集めることが出来る。
 今回は、下級程度で十分だ。
 一つ息を吸い、呼吸を整え、

「集え、劣弱の徒!」

 ダンッ、と地面を踏みつけた。
 同時に、靴底から陣が構成され、赤い光が複雑な陣形を描き始める。
 陣が完全な円形に結ばれた瞬間、黒いもやのようなものが視界いっぱいに集まった。
 もやは戸惑うように少し揺れた後に、ざわざわとわめき始める。

『人間、人間だ』
『人間?』
『人間じゃない』

 ざわざわとうるさい声を遮るように、比較的大声で問いかける。

「ここ最近、女を集めている悪魔が居るでしょ」

 その問いに、もやは曖昧な返事を返す。

『女?』
『そんなに強い悪魔が居た?』
『女の髪は良いものだ』

 無意味な言葉の洪水の中から、ある一つの単語が零れてきた。

『青髭の旦那のことじゃない?』
「青髭?」

 そう聞き返すと、もやがざわっと一際大きく揺れた。
 その揺らぎに、さらに言葉を投げる。

「その青髭の旦那っていうのは、どこに居る?」
『し、知らない』
『内緒』
『教えられない』

 固い声で拒むもやに、口の端だけを上げる。

「誤解しないでよね。頼んでるんじゃないんだ。命令」

 脅迫めいた調子でそういうと、もやはためらうように揺れた。

「僕がその気になれば、お前らを二度と復活しないように消し去る事も簡単なんだよ?……もう一度だけ聞く。青髭の場所、教えてくれるね?」

 もやが躊躇うように黙り込んでいるところに、右手の人差し指を伸ばし、微笑む。

「はいか、死か。ご理解は?」

 右手の指先を認めたのか、もやは震えるように揺れて、

『わかった!わかった!』

 と叫んだ。
 僕はすぐに指を下すと、実に事務的に悪魔に問うた。

「それじゃ、さっさと案内してくれる?なるべく、日が落ちないうちに。」

 陣を解除した途端、ざわっともやが一方向を目指して移動する。
 広場の隅に立っていたザニーに視線を向け、促す。

「多分、原因の所に案内してくれるってさ。ほら、行くよ」

 背後で、待ってー、と情けない声を上げるザニーを視界の端に、ざわざわと移動するもやを追いかける。
 この任務も、簡単に終わりそうだ。


*****



 多少人通りのある市場の端に辿り着いた瞬間、市場の入り口の柱にもたれかかっていた男が、バッと駆け出した。
 もやは口々に、あれが青髭の旦那だ、と告げる。
 そうと決まれば、さっさと捕まえなければいけない。
 駆け出した自分の後を追って、ザニーも走ってくる。
 ……足遅い。
 ザニーも必死で走っているのだろうが、悪魔のスピードに全く追いつけていない。
 若干イライラしながら追ううちに、行き止まりの路地に駆け込んだ男は、少し辺りを見回した後、2階分は高さのある壁をひょいと超えて、隣の家の屋根に飛び移り、さらに逃げようとする。
 それを追って壁に飛び乗った瞬間、下から悲鳴に似た声が聞こえた。

「ちょ、ちょっと、るーくん!そんなの、無理!」
「無理って何!?」

 ザニーは大きく肩を上下させながら必死に声を投げてくる。

「そんな壁登れないよ!待って、回り道探そう!」

 苦しそうに叫ぶその声に、積もり積もったイライラが爆発した。
 この男は、何もわかってない。
 うかつだったが、こちらの姿はすでにバレている。今逃がせば、あちらも相応の手段を講じてくる。
 そうなれば女性を救出するどころか、祓うことも難しくなるだろう。
 だから、早く捕まえなければいけないのに!

「ああそう、じゃあアンタは後からゆっくり来れば!!」

 そんな訳行くかぁ、馬鹿ー!、という悲鳴を無視して、隣の家の屋根に飛び移る。
 雑音に紛れて酷く聞き取りづらいが、周囲の低級悪魔の反応から、まだギリギリ、あの男の足取りはわかる。
 ……あんな足手まとい、どうしろっていうんだ!
 意味の分からないむかつきを抱えながら、屋根を蹴って駆け出した。


*****


 男を追いかけ、辿り着いた先は、町のはずれにある寂れた洋館だった。
 遠くに日が沈んでいくのが見える。
 じきに真っ暗になるだろう。早く済ませないと。
 息を整えた後、少し耳を澄ますが、特に変わった声は聞こえない。
 ……入ってみるしかないか……。
 悪魔の声がうるさいとはいえ、普通の人間の声と同じに、壁1枚でも隔てれば聞き取りづらくなる。
 ぎっ、となるべく音を立てないように古びた扉を開けると、見た目と同様、寂れて埃の積もった内装が目に入った。
 足を踏み入れてみても、気持ち悪いくらいに、何の音もしない。
 洋館の外に漂っている下級悪魔の声が、遠くの方でかすかに聞こえるだけだ。
 用心深く辺りを見回してみると、玄関ホール正面にある大階段のふもとで、うずくまっている女性を見つけた。
 ……被害者か……?
 ゆっくりと近づくと、女性もゆっくりと顔を上げた。
 そしてこちらの姿を認めた瞬間、泣きながら飛びついてきた。

「助けに来てくださったんですね!神父様!」

 あまりにも勢いよく抱きつかれ、バランスを崩して倒れこむ。
 こういう手厚い歓迎は、もっと体の大きな大人の男にすればいいのに。
 とりあえず僕の身体の上で泣きじゃくる女性をなだめなければ。
 このままではどうしようもない。申し訳ないが、重いし。

「…あの、落ちついてく」
「ルシア!!」

 声を掛けようとした瞬間、鋭い声が入口の方から飛んできて、そのまま僕の上に乗っていた重さが消える。
 事態を理解できないまま、女性の方へ視線を向けると、ひどく息を荒げたザニーが、女性の心臓に短剣を突きたてていた。
 その光景に一瞬真っ白になった僕の目の前で、ザニーは女性を蹴り倒し、その反動で短剣を抜き、一飛びに女性と距離を開ける。
 そしてこちらに駆け寄り、僕の首根っこをつかんで立たせた。
 強引に立たされて少し揺らぐ視界の中、先の光景が信じられないまま、僕はザニーに掴みかかっていた。

「ア……ンタ、何してる!!」
「馬鹿、よく見ろ!!」

 鋭い声で促された先で、女性の刺された傷口からは血ではなく、黒いもやがとめどなく漏れ出ていた。

「……悪魔……憑き……?」

 かろうじて漏れた僕の呟きに、ザニーは大きくため息をつき、僕の方を見下ろしてきた。

「……るーくんってば、最上級悪魔祓いのくせに、悪魔憑きも見分けられないんだ?」

 この男、怒っている。
 短い付き合いとはいえ、聞いたことのない低い温度の声に、一瞬面食らう。

「……わかるよ。ただ、悪魔憑きは、人間っていう殻の中に悪魔がいるから……ぱっと反応できないだけ……」
「悪魔の声が聞こえるって話は知ってるけどさ、耳に頼りすぎじゃないの?あんなの、悪魔憑きの常套手段でしょ?よく今まで生き残って来れたよね?」

 しどろもどろで反論すると、矢継ぎ早に正論を返された。
 ……何も、知らないくせに。
 この耳のせいで、どれだけ苦労したか、何も知らないくせに。
 正論にふつふつと怒りがこみ上げ、助けられたことも忘れて、つい食って掛かってしまう。


「何も知らないくせに、勝手なこと言わないでくれる!?」
「知らないよ!!」

 叩きつけられるような声に、思わず口を噤む。

「何にも知らないけど、今君を殺させる訳にはいかないんだよ!!」
「……それ、どういう」

 吐き捨てられた少し違和感を覚える言葉を問いただそうとした瞬間、女性からあふれていた黒いもやが、大男に似た形をとって声を上げた。

『そら見たことか!女の涙など嘘偽りもいいところ!実感したであろう、騙された先に残るのは死ばかりよ!』
『どれだけ探しても、どれだけ探しても、約束を破らぬ女など居ないではないか!』

 濁った声で恨み言を吐く大男に対して向き直ると、階段の近くに打ち捨てられた人間の身体がいくつも見えた。
 先ほど追いかけた男の身体も転がっている。
 大方、この大男の悪魔、青髭が使っていた殻の一つだったのだろう。

「……ちょっと、どいてて」
「え?」
「……あいつ、倒す。だから、どいてて」
「……大丈夫なの?」

 疑わしげな声でザニーが訪ねてくるが、あの程度の悪魔に、そんな心配は無用だ。
 むしろ行き先を失っていた怒りの矛先を与えられて、気分がいいくらい。

「平気。さっさと終わらせる。」

 その返事を聞いて、ザニーはすっと後ろに引いた。
 その動作を見届けた後、青髭を視界の中央に据えて、一つ息をつく。
 そして、右手の人差し指を高く上げ、契約の名を呼ぶ。

「ルシファー」

 同時に、周囲の時間が静止し、静寂が耳を満たす。
 この指先には、独自に契約した上級悪魔の契約印が刻まれている。
 右手をかざし、名前を呼ぶだけで、本来召喚には盛大な儀式が必要な上級悪魔を呼び出すことが出来る。
 教会では禁止されている方式だが、そんなもの知ったこっちゃない。

『坊主、まだ禁じられし力で同族を屠っているのか、業の深いことよ』

 目の前、厳密に言うと僕の意識の前にだけ現れた偉そうな悪魔が、愉快そうに目を細めた。

『一度我らと同化した身のそなたが、懲りもせずまだ我らと一つになろうと?』
「僕には、それしかないから。…何今更ぐだぐだ言ってるの?契約の時に話したでしょ」
『くくく……そうだったな……我らがそなたの力となる代わりに、そなたが死んだ時はその魂は八つ裂きだ』
「死んだ後のことなんかどうでもいいんだよ。僕は、死なないための力が欲しいんだ」
『つれぬ……つれぬな、坊主よ。そなたのような、堕ちてなお高潔な魂など、全世界の悪魔が涎を垂らして欲しがっているものを』
「……お世辞は良いんだよ。生き延びてその美味そうな魂をもっと美味しくしてやるから、今は僕にさっさと力をちょうだい」

 ぎっ、と睨み付けると、悪魔はまた愉快そうに肩を揺らし、声を上げた。

『おお、怖い怖い、今宵の坊主はよほど虫の居所が悪いと見える』
「そうだよ、だから、さっさと片してよね」
『……ふん……承知、その体、借りるぞ』

 悪魔がそう告げると同時に、五感のすべてが、水中に落とされたような感覚に包まれる。
 僕が悪魔を憑ける時にはいつもあることだ。
 こめかみの辺りに激痛が走り、ごきごき、という音とともに醜い角が現れる。
 視界は血走り、爪は鋭く伸びる。
 悪魔堕ちの僕が上級悪魔を憑けると、自分の姿も悪魔に近しくなる。
 普通の神父が悪魔を憑けて戦うのとは違う。
 僕は一度悪魔堕ちという形で悪魔に取り込まれたから、悪魔と同化しやすくなっている。
 だから、悪魔を憑けるというよりは、悪魔そのものになる、と言った方が、たぶん近いのだろう。
 この姿がひどく醜いことは知っている。
 助けた相手の意識があった場合、すべてが終わった後に、助けようと伸ばした手をはじかれることなんてよく有った。
 だからザニーだって、この姿を見たら、尻尾を巻いて逃げ出すさ。
 そうしたらまた一人で、誰に邪魔をされることもなく生きていける。
 ……万々歳じゃないか、ルシア。
 薄れた意識の向こうで、自分の喉から、自分では無い声が発せられる。
 自分ではない意思で、自分の指先が持ち上がり、青髭をぴたりと指さし、

「『女の嘘も受け入れられぬような狭量な駄々っ子には、煉獄の炎など生ぬるい。今一度、無から学びなおすのだな』」

 そう嘲ると同時に、指先からまぶしい閃光が走った。
 閃光の中で、青髭らしき悲鳴が響き渡る。
 閃光が収まった後には、一切の静寂。
 青髭が存在していたという痕跡すら残さず、そこにはただ玄関ホールが存在しているだけになっていた。

「……っ、げほっ…げほっ」

 僕の身体に入っていた悪魔も己に課せられた願いを終らせたと認識して、戻っていったらしく、僕自身の意識が唐突に戻ってきた。
 体が急速に人間に戻り、急に気管に空気が流れ込んできて、まるで水からあげられた時のように咳き込んでしまう。 
 これだって、いつものことだ。

「ルシア!」

 まだ上手く体の感覚に馴染めず、うずくまる僕の背中を、焦ったようにザニーがさする。

「だ、大丈夫か?大丈夫?」

 ひどく心配そうにこちらを覗き込むザニーの顔を、つい信じられないものを見る目で見てしまう。

「……は?」
「いや、何、は?って。大丈夫なの?動ける?」
「……怖くないの……?」 

 思わず零れた言葉に、今度はザニーが目を丸くした。

「は?」
「……いや、何、は?って。……だって、あんな姿、見といて……何、心配してんの……?」
「え!?なに!?見られたくない姿だったの!?も、もしかして全裸より恥ずかしい!?俺ってば、るーくんのことお嫁にもらわなきゃダメ!?」

 素っ頓狂な方向に動揺するザニーに、苦しい呼吸の中で、つい吹き出してしまう。

「ふ、ふへ……そ、そういう……ことじゃない……けど……」
「ちょっと!笑わないでよ!俺超心細かったんだから!!……って、そうだ!さっきの女の人!」
「……え?」

 ザニーが思い出したように立ち上がり、先ほど悪魔に憑かれていた女性に駆け寄る。

「け、蹴っちゃったけど大丈夫かなー?とりあえず息はあるけど……」
「……生きてるの?ザニー、思いっきり心臓刺してたけど……」

 ゆっくりと体を起こしながら近づいていくと、ゆるく呼吸する女性の姿が確認できた。
 女性を抱き起しながら、ザニーは、心外だ、というように叫ぶ。

「殺してないよ!……あ、あー……るーくんには言ってなかったっけ……。」
「何を?」
「俺のスティレット……この短剣ね、悪魔だけを刺せるんだ。人間には無害。……理屈は全然わかんないんだけどね」
「……何それ」
「俺も知らないよ!」

 短剣を指して申し訳なさそうに説明するザニーに、純粋な疑問を返すと、ひどく情けない声で返事が返ってきた。
 そんな規格外の話、聞いたことが無い。
 ……ああ。
 思い返してみれば、最下級には、異端な能力を持った悪魔祓いが居るとも聞いたことがある。
 この男、事務員ではなく、異端の方だったのか。
 ……それよりも、それを先に言ってくれれば、あの切迫したシーンで助けてくれた相手に掴みかかるなんて真似、しなかったのに。

「早く言ってくれればよかったのに」
「ごめんって。なんか話しかけづらくてさー」

 そのあと、少し調べたが、息があるのはザニーに刺された女性だけだった。
 気を失ったままの女性をザニーが背負い、街に向かって歩き出す。
 外はすっかり日が落ちて、真っ暗になっていた。
 さすが田舎、恐ろしく真っ暗だ。
 先ほどのルシファーの力の余波が及んだのか、下級悪魔の声もさっぱり聞こえない。
 ひどく静かだ。
 少し先を歩くザニーのケープの裾を指先でとらえ、少し引くと、ザニーが、んー?、と声を上げた。
 この暗さなら、何を言っても、表情まではわからないだろう。
 きっと今まで僕が見せていた通りの、小生意気な顔で吐いた嘘だと思ってくれるはず。

「……ザニー」
「どしたの、るーくん」
「……その、今日は、ありがとう。助かった。……あと、ごめん」

 ザニーは、しばらく黙ったまま歩いていたが、街もほど近くなった頃、小さな声で返事をした。

「いーんだよ、俺ら、パートナーだからねー」

 細い三日月がゆっくりと登る夜空の下、足音と、遠くに街のざわめきだけが響いていた。