昔日のフュネライユ

第三話/ルシア

「……で、魔女サビエナの惨劇で俺の兄さんは死んだんだ」

 薄暗い路地裏で、結界に捕まえた、モレクと名乗る悪魔を眺めながら、ザニー・クラウスの告白を聞いていた。
 深い記憶の底に仕舞われていた記憶。横目でザニーを盗み見る。
 何か言わなければいけない気がして、口を開こうとした瞬間、モレクが不満げにキンキン声を発した。

『ねー、いつまでしみったれた話してるのさー。僕、あんまり人間に加担するとあの方に消されちゃうよお』

 ザニーが情けない声でモレクに問いかけた。

「結局、お前が言ってるあの方って誰の事なのさ?」
『つーん、僕が簡単に教えると思う? ――いたたたっ!』

 完全に舐められているザニーに溜息を一つ吐くと、結界の縛りを強める。
 カッと結界が赤く光ると、モレクが緊張感のない悲鳴を上げた。

「君に拒否権はないって、まだ分からないの? あと、ザニーは舐められすぎ」
「うぃっす、ルシア先生」
『全く、僕もとんだドジを踏んじゃったなあ……っていうか、ザニーはさ、結局自分がどういう存在なのか分かってるの?』

 ザニーが戸惑うような表情を浮かべるやいなや、モレクはさぞ愉快そうに笑った。

『そうかぁ……憐れなザニー・クラウス! けけけっ!』

 そして、まさしく悪魔の囁きを、ザニーへ放った。

『自分が人間じゃないとも知らずに、一生懸命生きてるんだねえ』

 ぴた、と動きを止めたザニーへ向かってモレクは愉快そうに言い募る。

『ザニー・クラウス。グレイル・バッカスの祝福を受けた悪魔の子ども――“堕とし児・ザニー”。君に家族なんかいないのさ。兄と慕ったハレルヤは赤の他人。人間の腹を借りて悲劇の中に産み落とされる事を決められていた孤独な少年、それが君の正体だ!』

 ザニーへ目をやると、真っ青な酷い顔で短剣を握りしめていた。
 馬鹿野郎、ザニー・クラウス。
 堕とし児だからなんだっていうんだ。
 悪魔混じりなら僕だって一緒だ。生まれる前に混じっていたか、生まれた後に混じったかの違いくらいだろ。
 その情けない顔を見ていると、まるで自分まで否定されているようで、胸の奥がぎゅっとなった。

「ザニー、いつまで間抜け面してる気?」

 叩きつけるように言い放つと、ザニーが酷く情けない顔でこちらを見た。

「るーくん……俺」
「悪魔の子どもだからどうしたっていうのさ。君は君でいればいい」
『綺麗事だねえ、ルシア。君は教会の最上級悪魔祓いだろう? 悪魔に望まれて生まれた“堕とし児”の存在を看過するなんて、そんな事できるわけないよねえ?』

 モレクの言い分にカチンときながらも、あくまで冷静を装って返す。
 そうさ、どうという事もない。いつも通り、今まで通り、自分で、自分を決めていけばいい。

「それは僕が決める事だ。君にどうこう言われる筋合いはないよ」
『けけけっ、そうやっていつまでスカしてられるか、見物だなあ』

 煽ってくるモレクに、結界を強めてやろうと足に力を入れた瞬間、

「ふふ、あははっ」

 と、唐突にザニーが噴き出した。
 気でもふれたかと驚いてそちらを見ると、ザニーが吹っ切れたように笑いながら言った。

「いや、ごめん……俺さ、今までずっと蔑まれていたと思ってたんだ。皆、俺の事を悪魔の子って呼んでてさ。けど、気にすることなんてなかったんだ。本当の姿を言い当てられて、嘆くなんて、怒るなんて、馬鹿げてるだろ?」

 ザニーはそう笑うと、すっと目を閉じた。
 同時に、ザッと空気が変わる気配がして、まるで地を這うようなノイズが一瞬走った。
 咄嗟にモレクを見るが、結界は破られていない。モレク自身も、怪訝そうな顔でザニーを眺めていた。
 ザニーに視線を戻した瞬間、思わず息を呑んだ。
 肌に蔦のような文様が這い、ゆっくりと開けた瞳は赤に染まっていた。
 窓ガラスに映った自身姿を眺めているザニーを見ながら、思い直す。
 一瞬びっくりはしたが、いつもの、自分が戦う姿とそう変わらない。恐れるに足りない。
 ただ、怖いのは、彼の中身が、どう変わってしまったかだ。

「なあ、モレク。お前はもう一つ隠し事をしてるだろ?」
『な、何の事か、分からないなあ?』

 ザニー・クラウスはいやに落ち着いた声で、モレクに問いかけた。

「この街は、人形劇の舞台みたいに絃だらけだ。……モレク、この劇の支配人の名は?」

 その問いに、モレクが口を動かしかけた瞬間、オーケストラの演奏がけたたましいノイズと同時に響き渡った。

「これは……!」

 高位の悪魔が発するノイズに似ている。バッとモレクを睨み付けるが、モレクはただ結界の中でニヤついているだけだ。

「さて、皆様! 今宵はバッカス祭の余興、奇妙で滑稽な人形劇をお届けいたします! 私、クラムカランが心血を注ぎ、作り上げたこの舞台、最後までお楽しみいただければ幸いでございます!」

 歓声の中、ノイズに塗れた声が響き渡る。
 ザニーに目で合図を送ると、同時に歓声の中心、広場へ走り出す。

「実は、この舞台には影の立役者がいるのです。そもそも、バッカス祭の主役であるグレイル・バッカスは何故狂気に身を捧げてしまったのか? 皆様ご存知でしょうか? いやいや、知るはずもないでしょう! 何せグレイル・バッカスは世界から姿を消してしまったのですから、真相は闇の中――ですから、私が、真実の物語をお伝えいたしましょう!」

 嫌な予感がする、村人の野次交じりの歓声の中、クラムカランはいかにも舞台台詞のように言葉を紡ぐ。

「グレイル・バッカスは何故、13年間も悪夢を見続けたのか? それは偏に、ある御方に魅入られてしまったらからでございます。その御方はグレイル・バッカスの純粋な魂の力に惹かれ、ある事を思いつきました。――これほどの力を持つ聖職者を、悪魔として覚醒させることはできるだろうか、と!」

 舞台を見渡せる広場に差し掛かったところで、異様なノイズに足を止める。
 これは、良くないものだ。そう、昔、ルシファーに会った時に、よく似ている。
 少し先を走っているザニーに、止まるよう声を掛けようとした瞬間、クラムカランが舞台上で、一際声を張り上げた。

「そう、全ては実験に過ぎないのです。情熱的な探究心をお持ちの――レヴィアタン様の!」

 同時に、地鳴りが地面から響いた。
 ゆっくりと現れた大きな裂け目から、黒いもやと、嘲るような声に似たノイズが溢れだす。
 ザニーの立っている位置にも地割れが現れ、ザニーが吸い込まれるように地割れに落ちて行った。

「ザニー!!」

 伸ばした手はあえなく空を掻き、ザニーは地割れの底、暗闇の奥へ落ちて行った。


*****


 突然の地割れに混乱する村人たちの流れに逆らってしゃがみ込み、、ザニーが落ちた地割れを覗き込む。
 重苦しいノイズの中、深い暗闇だけが広がっている。

「……ザニー」

 そう簡単に死ぬとも思えないけれど、この地割れが自然のものではない事だけは確かだ。
 出来るだけ早く、拾い上げないと。

「ルシファー!」

 指先に神経を集中させて、奴を呼び出す。
 ぶわっと、毛が逆立つような気配がして、視界が深紅に染まる。
 不快そうな表情で悪魔が目の前に現れた。

「……ほら、体、貸すから。さっさと原因の悪魔を消して……」
『ふん、悪魔の名を汚す雑魚を一掃するのは我の領分だが、弱弱しい人間一人を、しかも助けるなど、我の仕事ではないな』

 こちらの言葉を遮るように言葉を吐くと、ルシファーは首を振った。

『坊主が助けたいのは、あの、ザニー・クラウスとかいう貧弱な男だろう。あいつの魂は生まれながらにして他の悪魔のものだ。奴に貸しを作っても何の意味もない』

 生まれながらに他の悪魔のもの、という言葉が引っかかったが、今は余計な事を考えている暇はない。
 契約がある限り、ルシファーは僕に従わなければいけないはずだ。

「契約に従わないって?」
『……ああ、坊主の言うとおり、契約は結んである。悪魔であろうと、それには逆らえぬ。不本意ではあるが……力は貸してやる。力だけな』

 ルシファーがすこぶる面倒くさそうに指を振ると、ざっ、と血の沸き立つ気配がした。
 いつもルシファーに憑かれる時の感覚と同じはずなのに、何か違和感を覚えた。

「え……っ、あ、これ……」
『ふん、後は勝手にするがいい。我は知らん』

 いつもに増して不機嫌そうなルシファーが視界から消えると同時に、視界の赤が急速に消え失せた。
 感覚は全て研ぎ澄まされ、悪魔が憑いていることを示す角と翼が体に現れる。
 それは、いつものことのはずだった。
 それでも、一つだけ、いつもと違う事。

「……動ける」

 右手を軽く握りしめた。
 ただそれだけの行為なのに、それは本来ならば、決して出来ない事のはずだった。

 ……いつもなら奪われるはずの自我が、残されている。

 それは、ルシファーがした、最大限の譲歩なのかもしれなかった。
 くっ、と、口の端を上げ、背の翼を広げながら、亀裂の底、深い闇を見据える。
 飛び立とうと、ぐっと足に力を込めた瞬間、まるでカーテンコールのような足取りでクラムカランが目の前に現れた。

「主役のご友人とはいえ、舞台袖にまで首を突っ込むのは、いただけませんね?」

 クラムカランは自ら豪奢な仮面を身に着け、一つくるりと回った。
 同時に馬鹿みたいな量のノイズと共にクラムカランの身体から鋭い棘のような闇が溢れだす。

「……無意味だとは思うけど、一応聞いておいてあげる。……アンタは、何を望んで、悪魔に魂を売ったの」
「……素晴らしい舞台を作り上げる為、と言ったら?」
「嘘だね。アンタは多分、そんなものの為に魂を売れるほど、高潔じゃないよ」
「……ふふ、さすがは、神父様。お見通しでいらっしゃる」

 クラムカランは、口の端だけを上げると、こちらを小馬鹿にするように少し首を傾げた。

「ですが、偽りは有りませんよ?私は、素晴らしい舞台を、完璧な形で……私の女神に、捧げたいだけです」

 上滑りした舞台台詞のような言葉を吐くと、クラムカランは身に着けた豪奢な仮面を一度撫でた。
 こちらは、ふん、と鼻を一度鳴らすと、クラムカランに向かって指をさす。

「残念ながら……悪魔の手を取った時点で、女神に捧げるには向かない舞台になっちゃったね」
「レヴィアタン様は、悪魔などでは有りませんよ。私に、完璧な舞台を構築する力を与えてくださる、尊きお方です」
「ふん……浮気性だね、アンタって」
「おや、とんでもない」

 クラムカランは焦れたように首を振ると、仰々しく腕を振り上げ、実に慇懃に頭を下げた。

「お察しの通り、無意味な問答は、ここまでといたしましょう。いつまでも、部外者を舞台に上げているわけにはまいりません」
「部外者なんて、結構な物言いだね」
「おや、貴方様は主役を気取れるほどの役者ではないでしょう」

 ぞろ、とクラムカランを取り巻く闇の棘が揺らめいた。

「素晴らしい舞台とは、全ての構成要素が噛み合った瞬間だけに生まれる、一瞬、一級の芸術です。それに水を差そうなどと、それこそまさに悪魔の所業に他ならない」

 口元だけで不愉快な笑顔を浮かべるクラムカランに、微笑み返す。

「そうだよ、僕は――……僕も、きっと悪魔だ。それも――」

 クラムカランに向けた指先に神経を集中させ、力を引き絞る。

「一級の、ね」

 言い終わると同時に、閃光をクラムカランに放つ。
 それは、クラムカランが反射的に防御の形にした棘の闇をいともたやすく抜け、豪奢な仮面ごと、彼の頭部を貫いた。
 カシャン、と抜け殻のような音を立て、仮面が地に落ちる。同時にクラムカランの身体も糸が切れたように倒れ伏した。

「ああ……眩しい…………エマ……どうか……仮面を…………しい…………何も……見えない……」

 小さな声で、何事か呟いていたクラムカランはそのまま力尽きたようだった。

「……これも、僕の手で選んだ結果だ」

 いつの間にか棘に撫でられていたのだろう、頬に出来ていた小さな切り傷から流れる血を手の甲で拭うと、光の消えたクラムカランの瞳を、指先でそっと伏せる。
 自己満足に過ぎないけれど、それでもやらずには居られなかった。
 一度目をぐっと閉じてから、改めて亀裂の底を睨み付ける。
 後戻りは、もうとっくにできない。

「今度は、僕の番だ」

 その闇の底から、今度は、彼を引きずり上げるために。
 まるでいつもと同じように、背中の翼を大きく広げた。


*****


 亀裂の底に向かって、加速しながら下りていく。
 ずっと耳の奥に重苦しいノイズが響いている。
 いやに粘度のある闇のせいで、行く手を阻まれている感覚に陥る。

「ああもう……鬱陶しい!」

 翼を一際大きく振るうと、大きく風が起こり、闇の向こうに、蔦と弦に絡まった彼の姿が見えた。

「……兄さんが死んで、俺はもう亡霊として生きるしかないと思ってた。けどさ、友達ができたんだ」

 風の音に紛れて、彼の声が聞こえる。
 場にそぐわない、馬鹿に安心したような声で。

「すっげー俺様で、冷静なんだけどちょっと抜けてる所もあって、ちっちゃいって言うと怒るんだけど、めちゃくちゃ強くて。そう、何て言うか――」

 黒い羽をまき散らしながら、翼を操って減速する。

「――最強?」

いつもと変わらない顔で、こちらを見上げた彼に、少し安心して、思わず口の端が上がる。

「そこは疑問形じゃなく、言いきってほしいね」
「じゃあ、改めて。最強の悪魔祓い、ルシア先生のご登場です」
「ザニー、君って本当に危機感ないよね」
「そうかな、るーくんが来てくれたから、安心しちゃったんだよ」

 いつも通りの軽口を聞き流しながら、指先に鉤爪を具現化してザニーに絡まった弦を切り裂く。
 ザニーの体には蔦がまるで守るように巻きついたままだ。
 闇の底から、重苦しいノイズと共に、低い声が聞こえる。

『馬鹿な……地上でクラムカランが足止めしていたはず』
「あんなザコ、相手にもならなかったよ」

 あまりにも馬鹿馬鹿しくて、素晴らしいお言葉に口の端を上げる。
 やっぱり、この悪魔は安心して滅ぼせる類のヤツだ。
 ここは華々しく退場して頂こう。

『モルモットの分際で、私の不興を買うとはな……思い知るがいい!』

 闇の底から鋭く伸びてくる弦を翼で受け流し、弦の根元を見やる。
 攻撃するという事は即ち、自分の居場所を自白するのと同義だ。
 蔦で防御したらしいザニーも、同様に闇の底を見つめている。
 周囲の羽をいくつも刃のように研ぎ澄ませ、攻撃の出所に向ける。

「――思い知るのは、君だ!」
「――思い知るのは、アンタだ!」

 図らずも同時に出た声と併せて、羽の刃を闇の奥に飛ばす。
 ザニーも短剣を引き抜き、それに蔦を絡ませて巨大な槍をかたどり、亀裂の底に投げつける。
 自分の身体を支える蔦まで攻撃に回したせいで、中空に投げ出されたザニーの身体を捕まえ、ついでにザニーが作った槍に赤黒い炎を付与してやる。
 闇の奥が炎に包まれると同時に、耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。
 その残響が薄れ始めるか否かと言うところで、亀裂が塞がり始めた。

「ええっ!? これ、やばくない、るーくん!!」
「ちょっと、暴れないで。落とすよ?」
「止めて! 私を離さないで!!」
「うわ、鬱陶しい……」

 慌てて縋り付くザニーを一瞥してから、翼を大きく羽ばたかせる。
 一気に最高速を目指すが、ザニー分の重さがプラスされていて、思うように速度が上がらない。
 軋みを上げる大地の間をすり抜け、ギリギリ、やっと星空が見えてきた辺りで、ザニーが突然うめき声を上げた。

「ぐっ……痛っ…………うるさい……」
「ザニー?」

 同時に大地の亀裂から飛び出し、満天の星空の中に飛び込む。
 ザニーに目をやると、ザニーは眉を寄せて苦しそうに呼吸を繰り返している。
 大丈夫か、と問いかけて、しかし言葉には出来なかった。
 大丈夫じゃないに決まっているだろ。
 そんな不毛な問いで浪費する時間は無い。
 苦しそうなザニーの顔を見下ろしながら、掛ける言葉を持たない自分にがっかりする。
 だって、今まで、気遣う相手なんていなかったんだ。

「……ザニー」

 名前を呼ぶだけしかできない。
 意味もなく泣きそうになりながら、何度目かに名前を小さく呼んだ時、ザニーがゆっくりとこちらを見た。

「――ううん、ごめん。うるさくなんかない」

 ザニーが、震える声で、何事か呟いた。
 風の音に紛れてそれは明確には聞こえなかったけれど、何かが幕を下ろしたのだけは、ただ分かった。



*****


「いい加減にしてよ、どういう事!?」
「慎みなさい、ルシア神父。貴方ももう、何もわからない子供ではないでしょう」

 重厚な木で作られた机を力任せに叩くが、目の前の老神父は表情の一つも変えない。
 目が回りそうになるくらいの憤りを抑え込んで、一つ息を吐き、馬鹿丁寧な言葉遣いに改める。

「……これは、どういう事ですか」
「これ、とは?」

 とぼけたように書類に目を落とす老神父の顔を睨み付けるが、老神父の表情は全く動かない。

「……ザニー・クラウスの処遇です。今回、クロスロード村の事件が、最小の犠牲で収まったのは、ザニー・クラウスの尽力があればこそ。いつから教会は功労者を独房に閉じ込めるようになったんですか?」

 たっぷりの嫌味に、老神父はようやく視線をこちらに向けた。

「その力の源が、忌むべき物だとしても?」

 僕がぐっ、と言葉を呑むと、老神父は淡々と言葉をつづけた。

「彼は“堕とし子”です。今回の功績を鑑みて、現在は拘束するに留めておりますが、本来ならば、即刻処刑されてもおかしくない存在です」
「……僕は、良いんですか?」
「はい?」

 訝しむ様にすっと目を細めた老神父に、吐き捨てるように言葉をぶつける。

「僕だって、一度悪魔に呑みこまれた人間だし、アンタらの嫌う方法で悪魔と戦ってる。……僕は放っておいて、ザニー・クラウスだけ処分するのは、道理が通ってないよね」

 老神父は、面倒そうに息を一つ吐くと、こちらを平坦な目で見返した。

「ルシア神父、貴方は、貴重なタイプの生き残りです。貴方のような目にあうと、大抵の人間はまともな神経を失ってしまいますからね。そんな目にあってなお、神父として力を発揮できる貴方の利用価値を、教会は評価しているのです」

 実験動物って訳か、という皮肉を呑みこんだまま、老神父の言葉を聞く。

「一方、ザニー・クラウスのような“堕とし子”は教会の記録から見ればそう珍しいモノでもありません。そして、記録の中全てで、“堕とし子”は教会に仇なしている。……生かしておく理由は、有りませんね?」

 老神父の、わかるな?とでも言いたげな視線を押し返すと、ゆっくり言葉を吐いた。

「……ザニー・クラウスに利用価値があればいいんですね?」
「……はい?」

 不思議そうな老神父に、一世一代のハッタリを掛ける。

「ザニー・クラウスが僕のパートナーに戻らない限り、僕は、もう教会の仕事はしません」
「……ほう、もう教会には従わない、と?」
「ええ」

 今まで、教会から離れるようなことなど考えなかった。
 気に食わないながらも、教会の庇護下に居れば、生きるのに楽だった。
 だから、今まで黙って従っていた。
 けれど、今回は、もう黙っていられなかった。

「……それは、傲慢ですね、ルシア神父」

 とん、と老神父が机を指で叩いて笑う。

「は?」
「貴方に多少利用価値があるとはいえ、ザニー・クラウスも、貴方も、教会にとっては等しく厄介者なのですよ」
「ぐっ……」

 それは、正論だった。
 上手い返しが思いつかないまま唇を軽く噛むこちらを眺めて、老神父は意味ありげに目を細めた。

「……ですが、こちらとしても厄介者を纏めておけるならば越したことはない。身内を処刑したとなると世間体も悪いですしね」
「……え」
「貴方のご希望に沿おうという事ですよ。貴方の通常任務に、ザニー・クラウスの監視も加えましょう。……それで、いかがですか?」
「あ、ええ……わかりました……」

 唐突に変わった流れに、少し戸惑いながら頷く。

「ただし、条件を一つ」
「……なんですか」

 老神父は冷たい目でこちらを眺めて、口の端だけを上げて宣告した。

「もし、貴方達が教会の不利益になることがあれば……即刻、手を打たせて頂きますよ」


*****


 老神父から受け取った地下牢と手枷の鍵を握りしめて、足早に地下牢への階段を下る。
 相変わらず教会の人間と話した後は、胸がむかむかする。

 ……僕にここまでさせるなんて、きっちり責任とってもらわなきゃね、ザニー。

 ザニーは馬鹿だから、くそ大人しく捕まってやっているのだろう。
 僕は、そんなもの大嫌いだ。
 辿りついた地下牢の冷たい扉の前で、一度深呼吸をしてから、鍵を差し込む。
 小さな金属音が鳴って、拍子抜けするくらいあっさりと、扉は開いた。
 真っ暗で無機質な部屋の奥で、彼はぼんやりと項垂れていた。


「いつまでふて腐れてるの?」

変な勢いで顔を上げたザニーは、お手本のような間抜け面でこちらを見た。

「……るーくん?」
「本当に、世話の焼ける雑用係だよ、君は」

手枷を解こうとザニーの前に膝を付くと、少し戸惑うようにザニーが手をずらした。

「え、何で?」
「何でって、何が」

 やや強引に手枷を引き寄せて鍵を外したものの、ザニーは呆けた様に態勢を変えなかった。
 その馬鹿みたいな顔を動かすために、いつもと変わらない調子で言葉を投げる。

「最上級悪魔祓いである僕は忙しいんだ。こき使っていい下僕は必要でしょ?」
「下僕って……俺はいつになったら同僚ポジションになれるんですかねえ!」

 帰ってきた言葉に、安心して気付かれないように小さく笑うと、抱えてきたザニーのローブを投げつけて、さっさと出口に向かう。
 そうだ、これでいいんだ。いつも通りの。

「あ、ちょっと! 待ってよるーくん! 置いてかないで!」

 ザニーの情けない声を背中に聞きつつ、階段を上がる。
 晴れ渡った空は、それでも何だか薄く白んでいて中途半端な気持ちになったけれど、僕らには、きっとそれくらいでちょうどいいんだ。
 追いついてきたザニーの顔を横目で見上げて、ふん、と鼻を鳴らす。
 頼りないくせに、僕の手を引っ張ろうとする物好きな友人。
 もう、その手を離さないで済むように。

 ……僕だって、もっと強くなるんだから。

 二つ響く足音は、教会の廊下に反響して、いつまでも響いていた。


(Lucia side FIN)