Don't eat.

 これは一体いつの記憶だろうか。温かいような、懐かしいような、不思議な気持ちに包まれながら、フェンリルは夢の中で顔を思い出せない女性と会話していた。

【フェンリル】なぁ、××××! 今日の飯は?
【××××】あなたってば本当に食いしん坊ね。まだティータイムが終わったばかりよ?
【フェンリル】甘いもんより肉がいい。
【××××】可愛くない子。ケーキってすごく手間がかかるのに、それよりも肉だなんて。
【フェンリル】ケーキもうまかった。
【××××】ふふっ、正直でよろしい。……ねぇ、フェンリル。

 記憶の靄が晴れていき、目の前の女性の顔がはっきり見えた。赤い髪に、長い睫毛。誰も寄りつかない森の中で暮らす彼女を、人々はこう呼んでいた。――深き森の魔女、アルヴィザ。
 アルヴィザは赤い唇で、言い聞かせるようにフェンリルに言った。

【アルヴィザ】食べていいものと、食べちゃいけないものを間違えちゃだめよ。
【フェンリル】わかってる。毒のあるやつは色が鮮やか。きのこも野草も簡単に口にしない。
【アルヴィザ】それは勿論のことだけれど、もう一つあるのよ。
【フェンリル】食べちゃいけないもの?
【アルヴィザ】そう。――おいしそうに見えても、食べちゃいけないものがあるの。

 それはね、とアルヴィザは真剣な表情で何かを告げる。けれど記憶は闇に呑まれ、フェンリルは彼女の声を聞きとることができなかった。

【フェンリル】……!

 フェンリルが飛び起きると、すぐ横に気遣わしげな表情をしたカンテラの姿があった。

【カンテラ】狼さん、大丈夫? すごくうなされてたわ。
【フェンリル】あ、ああ……起こしてくれたのか。あんがと。
【カンテラ】怖い夢だったの?

 夢の内容を思い返し、フェンリルは少し考えてからとぼけたように言った。

【フェンリル】……いや、食いもんの話してた夢。
【カンテラ】なぁに、それ。おかしい。
【フェンリル】ケーキがいいか、肉がいいか。森のきのこや野草は簡単に食べちゃいけない。それから……それから……。

 後に続く言葉がなくなってしまってフェンリルは一度口を閉じ、そして適当な笑顔を作って明るく言った。

【フェンリル】なんかこんな話してたら腹減ってきた。カンテラって料理できんの?
【カンテラ】……たぶん……いいえ、きっと…………できるわ。
【フェンリル】すげー小声だったな。でもオレ、お前の飯食べてみたい。
【カンテラ】本当に? じゃあ、私頑張って作るわ!

 厨房へ走りだすカンテラを、やれやれとばかりにフェンリルは追う。その瞬間、カンテラの白い首筋に視線が固定されたまま動かせない自分がいることに、フェンリルは気づいた。あの喉を食い破ったら、どれほどの血が滴るのだろう。彼女の肉は柔らかいだろうか。

【フェンリル】……っ、違う。そんなこと……オレは……。

 怖気の走る思考を振り払うように、フェンリルは首を振った。アルヴィザの声がまだ頭の中で反響している。

【アルヴィザ】――おいしそうに見えても、食べちゃいけないものがあるの。

 違う、違う、と心の中で繰り返しながら、フェンリルはカンテラに追いつこうと歩みの速度を早めていった。