笑ってほしいのは、あなた
カンテラが教会の扉を開くと、ビスマルクがじっと十字架を見上げているのが目に入った。
【カンテラ】先生……?
いつも穏やかに祈りを捧げているビスマルクとは違う、剣呑な雰囲気に驚きながらカンテラは声をかける。すると、ビスマルクは双眸を柔らかくして振り向いた。
【ビスマルク】カンテラ様。どうかされたのですか?
【カンテラ】いえ、大した用件ではなくて……ただ少し、先生とお話できればと思って。
【ビスマルク】構いませんよ。さあ、こちらへどうぞ。
そう言ってビスマルクは祭壇近くのベンチを勧めた。いつもカンテラが礼拝の時に座るベンチで、他の木製のベンチと違ってクッションが敷いてある。これはまだ小さかった頃のカンテラが座り心地の悪い椅子を嫌がったことがあり、ビスマルクがそれを察して用意した彼女のための特等席だった。
【カンテラ】あのね、先生。
【ビスマルク】はい。
【カンテラ】お城中が、とても静かなの。
ビスマルクは力なくもう一度相づちを打った。皆、大事にしていた姫君が生け贄となることを心から悲しんでいるのだ。
【カンテラ】それが寂しくて……でも、みんなに笑ってとも言えなくて……。
【ビスマルク】笑って、と仰ればいいのですよ。貴女のお言葉に、皆がハッとするでしょう。姫様を寂しがらせてしまっていると。
カンテラは少し困ったように笑った。ビスマルクがカンテラの隣に腰掛けると、カンテラは小さな声で言った。
【カンテラ】――笑って、先生。
その言葉にビスマルクは目を見開いた。そしてゆっくりとうなだれた。
【ビスマルク】申し訳ありません……自らが言ったことではございますが、それだけは……それだけは、どうしてもできません。
【カンテラ】……どうして?
【ビスマルク】わたくしは、姫様をお守りすることができませんでした。その咎を、忘れることは許されません。
【カンテラ】先生はもう、笑ってくださらないの?
ビスマルクは失望の表情で、再び十字架を見上げた。
【ビスマルク】わたくしは、貴女に加護を与えない神を信じることができなくなってしまった。
十字架が、ステンドグラスを通り抜けて色づいた陽光に照らし出されている。カンテラは、ビスマルクの肩にそっと寄りかかった。
【カンテラ】先生。私は今でも、あの十字架は美しいと思うわ。
ビスマルクは肩にカンテラの重みを感じながら、信じることのできなくなった神に、自分がまだ祈り続けているのだと知った。