あたしはワンチャンスを許された。椅子に体育座りをしたまま、PCモニタを凝視する。画面に表示されているのはところどころ文字化けした、自称・異世界からの住人によるメッセージだった。要旨をまとめると、「実は世界はいくつもあって、それらを統括的に見守るお仕事してみませんか?」ってところだろうか。うは、胡散臭せぇ。けどけど、それがもし本当だとしたら?現にさっきからこのメッセージの発信源を突き止めようとして、政府サーバーにまで潜り込んじゃったけど、全然足跡が見つからない。このあたしが、そんじょそこらのハッキングジャンキーもしっぽを巻いて逃げ出すこのあたしが、辿り着けない「どこか遠く」が存在している。面白い。 「AO-1(エー・オー・ワン)。そろそろ稼働限度を超える」 あたしの隣で、少年が不機嫌そうに告げる。 「えー、りょっちゃんそんなこと言わずにー」 「俺はtype;RY-0(タイプ・アール・ワイ・ゼロ)だと言ってるだろう。安易に名付けるな。あと本気で背中が熱い」 そう文句を続けてくるもんだから、ぶーたれてモニタから視線をりょっちゃんに向けると、人間で言うところの首筋から肩甲骨の辺りにかけて、無数のケーブルを接続している彼がそれをぶっちぶち後ろ手に抜き始めているのが見えた。 「わー!ちょ、待った待った!これだけ!この返信だけ!」 あたしは叫びながら超高速でタイピングし「興味ありまs」とミスタイプしてバックスペースを押すか否かゼロコンマ一秒以内に判断し、そのまま送った。そしてその瞬間にPCモニタがぶつんとノイズを一度起こしてから真っ暗になった。 「はー。ったくさぁ、りょっちゃんホントに機械なの?ご主人様に逆らうなんてロボット三原則はどうなってんの?」 「さあ、知らん。なにせバグ入りだからな」 「数奇なもんだよねぇ、こーんなあたしのとこに、そんなりょっちゃんがやってくるなんて」 「意図がよくわからない発言だ」 ケーブルを幾本も抜いていくりょっちゃんは、自分で翼を切り落としてる天使みたいだった。とりあえずコーヒー淹れなおそっか、とあたしは言って、最後のケーブルを引っこ抜いたりょっちゃんと一緒にリビングルームへ移動することにした。 あたしことAO-1と、りょっちゃんは半強制的に巡り会った人間と小型ロボットだ。あたしたちの国の女王様は超高性能コンピュータ・リアンといい、リアン様の指示によって人間には必ずEC(Etarnal Children)と呼ばれる子供の姿をとった小型ロボットが情報回線のインターフェース兼、間違った行動をする人間がいないかどうかの監視役として必ず一体用意されることになっている。 ECはこの世に生まれてきた人間のデータを元に外見を作成されており、そのサンプルデータとなる人間の名前は英語二文字プラス数字一文字、ECは先頭にtypeとついてから英語二文字プラス数字一文字で名前が付けられる。 つまりあたしは、いつか死んだ後にECとして子供の頃の外見が採用されることを約束された人間である、ということだ。AA-0からZZ-9までサンプリングを繰り返しているので、あたしは第235代目のA0-1である。元々サンプルをとるためだけの存在だから、基本的に2LDKの室内から外へ出ることは許可されていない。サンプルデータが犯罪でも起こしたら、ECのボディに外見を使用するという目的がおじゃんになってしまうから。 玄関というものは存在しているけれど、扉を開けられるのは、月曜日に武装した宅配便の兄ちゃんが生活用品や本を届けてくれるときと、木曜日に武装した清掃業者のお姉さんがゴミやいらなくなったものたちを持ち帰ってくれるときだけで、その他の用件で内鍵なしのオートロックを開けるというのは至難の業だ。というよりバズーカ砲でもないと無理だ。 窓はだいたい三、四センチ開いて換気ができる程度の上に鋼鉄製の窓枠、防弾ガラスが三重で、反抗する気も起きやしない仕様である。しかも遮光だそうで、くすんだ色合いの景色しか眺めることができない。 ただ、退屈な閉鎖空間の中でも知識を吸収するための、読書という行為がお咎めなしだったことは、あたしの一つ目の救いになっていた。 二つ目の救いは、あたしの相棒がtype:RY-0、つまりりょっちゃんだったことである。りょっちゃんは普通のECとは違っているようで、本人も言っているけれど「バグ」が存在しているECだった。主に監視対象であるあたしについてリアン様にリポートを送信する際に虚偽の報告ができるらしいし、感情に似た機能が発達している。なによりご主人様を敬わない。 生まれたときからあたしは両親から引き離され、りょっちゃんに世話を焼いてもらっていた。けれど、思春期まっただ中に入ったあたしはハッキングという遊びを覚え、インターネットの世界でぶいぶい言わせて、いわゆる手のつけられない問題児になっていた。 あたしの問題行動の旨をりょっちゃんはリアン様に報告しようとして、それができなかった。報告すればあたしは死ぬことになるだろうと彼は感じていて、あたしを守るためにリアン様へ報告をしないという行為を彼は自分で選択できることに気がついたのだ。難しい言葉を省いて言うと、りょっちゃんは嘘がつけるたぐいまれな小型ロボットだったのである。つまりあたしはやりたい放題……という訳にもいかなかったのは惜しいところではあるけれど。 結局、りょっちゃんはあたしにとって唯一の親であり、兄弟であり、親友だったから、彼に一週間口を利いてもらえなかった思春期のあたしは大人として分別をわきまえ、キャンプファイヤーに身体ごとダイブするような遊びはやめて、ほんのすこーし線香花火を十本ばかり束ねて火をつける程度の遊びを楽しみにするくらいに落ち着いた。比喩だけど。基本的に火遊びには憧れる。ガスコンロの火と誕生日ケーキのろうそくに灯った火ぐらいしか見たことないからだと思う。 「……AO-1、聞いているのか、AO-1」 「おっとー、バリバリ聞いてなかったZE!」 あたしが淹れなおしたコーヒーをずびずびやっている最中、りょっちゃんが話しかけてくれていたらしい。 「死語が好きだな、本当に」 「チョベリグッ!」 心底呆れた物言いでりょっちゃんが言ってくるもんだから、思わず親指を立て、舌を出し、ウィンクもおまけでつけちゃうような無意味でファンキーなポーズをとってどや顔をしてしまった。すると彼は真顔で話を続ける。 「……むしろチョベリバな話なんだが」 「乗るのかよ」 さすがにボケ殺しじゃ、あたしが浮かばれない。 「じゃあどうしろというんだ」 「いや、いつものりょっちゃんなら『馬鹿を言うな、AO-1。俺は真面目な話をしている』とかさ、そういう感じで攻めてくるかと」 「俺はお前と戦っているつもりはない」 一刀両断。まぁ、りょっちゃん攻めって感じじゃないし。 「あっそ。……んで?その動揺の原因はなんなの?」 「先程の文面、お前はどう思っている」 「ん?パラレルワールドからのラヴレターについてってこと?」 「随分な曲解だが、そういうことになる」 「あたしは返信があったら面白いなぁと思ってるけど」 マグカップを置いて、あたしはソファに大きくもたれかかった。天井はいつだったかだいぶん昔に青いペンキで塗りたくって偽物のお空が見れる仕様になっている。りょっちゃんは背筋を正した姿勢のまま、反対側のソファでこちらを見ていた。 「だが、余りにも危険が大きい。お前が特定できない発信源からということは、それだけ得体が知れない。罠である可能性だってある」 「リアン様の?逆に、あたしですらわからない発信源からわざわざメッセージを送ってくれたのに、シカトってどうよ?」 「黙殺という方法もあったはずだ」 ふむ、とあたしはソファから身を起こして腕組みをする。 「見解の相違だねぇ。……時にりょっちゃん」 「なんだ」 「お腹が空きました」 その後、本当に異世界から返信があった。メッセージには「三日後、迎えに行く」とだけ記されており、あたしは「オーライ」と返した。果たして異世界人にオーライが通じるかはわからない。あたしは通販でいくつかパーツを購入し、今まで知識の赴くまま作ってきた機械たちを解体した。急に「あれ」を作るための部品を全部買い揃えたら、リアン様に警戒されかねない。元々家にあるものは使ってしまおう。ネット接続を終え、省エネモードに入っているりょっちゃんに、あたしはぽつりと言った。 「りょっちゃんってさ、バグの割合どのくらいなの?」 「妙な質問だな」 「いいから、答えてよ」 「十五パーセントというところだろうか」 それは、惜しい。やはり全部は手に入らないか、とあたしは小さく嘲笑した。 「AO-1」 ふいにりょっちゃんがあたしを呼んだ。 「何さ」 「俺はある結論に達している」 お前がこれからしようとしていることについてだ、と彼は言う。 「やーっぱ、バレるよね?」 「当たり前だ。何年の付き合いだと思ってる。だからこそ、言っておこう。……お前は、何も間違ってない」 「……はは、あんがと。りょっちゃん」 本当にりょっちゃんはできた相棒だ。 玄関の呼び出し音はメッセージの着信からきっかり三日後に聞こえた。今日は水曜日。宅配のお兄さんも清掃のお姉さんも来るはずのない日だった。あたしはいつものようにお気に入りのマグカップでコーヒーを飲んでいて、傍らには荷造りした鞄とリュックが置いてあった。 「りょっちゃん。……どのくらい保つ?」 あたしはマグカップを置き、リュックの中から三日間、こつこつ作っていた品を探す。 「ECの緊急プログラムは通常五秒以内に起動する。それを妨害して二十秒は時間を稼ぐ」 外すなよ、とりょっちゃんは言った。呼び出し音がもう一度鳴る。はーい、とあたしは大きく返事をする。EC緊急プログラム。ECの身に危険が迫った際、リアン様へ自動的に異変をリポートする機能。これさえなければな、とあたしは内心溜息をつく。 「りょっちゃん。あたしのこと、ちゃんと恨んでね」 「さて。俺はロボットだから、そんな感情は知らない」 そういうことを言ってくれるな、とあたしは思う。恨まれようとあたしは必死なのに。なんだか馬鹿馬鹿しくなってきてあたしは笑った。 「くそ。……やっぱ、カッコいーな、りょっちゃん」 「どっか行っても、少年愛は俺だけにしておけ」 「何ソレ、あたしが変態みたいじゃーん」 「訂正しておこう。少年愛だろうがなんだろうがお前の性癖はどうでもいいから」 碧い目をしたあたしの相棒は、ゆっくりとこちらを見据えて言った。 「精一杯生きる努力をして、好きなように生きろ」 いつも不機嫌な顔のりょっちゃんが、笑った。ああ、やっぱりりょっちゃんは天使かもしれない。翼なんかなくても、あたしはずっと彼の傍にいて、導かれてきたのだ。 「悪いね。アンタに恨みはないんだけど」 むしろ、感謝しかないのだけれど。 「これ以上ここにいるのは、性に合わないんだ」 二十パーセントだったら。もしもりょっちゃんのバグの割合が二十パーセントだったら、あたしは彼も一緒に連れていくつもりだった。せめてそのぐらいリアン様の力にあらがえる素養があったら、あたしでもりょっちゃんをリアン様に影響されないようなロボットに作り替えることができていただろう。 「……さよなら」 リュックの中から取り出した手作りの拳銃で、あたしはりょっちゃんの頭部を撃ち抜いた。りょっちゃんからカメラアイやコード、歯車、ネジ、とにかく色々なものがばらばらとこぼれ落ち、その身体が倒れた。 あたしは荷物をすべてひっ掴み、廊下へ走った。なぜだか廊下が長く感じて、内鍵なしのオートロックの扉が開いているのが遠くに見えた。走って、走って、あたしは走り続けた。 「気がついたか?」 もぞり、とあたしが動くと、優しく響く中性的な声が聞こえた。 「ここ、は……」 「どこにでも繋がっていて、どこでもない場所だ」 「……パラレルワールドの外、って感じ?」 あたしは横になっていたベッドから起き上がる。ベッドから少し離れた場所にあるダイニングテーブルに、ボブカットの女性がいた。 「察しが良くて助かる。初めまして、私はアンナ。メッセージに答えてくれてありがとう」 「こちらこそ、連れ出してくれてありがとう。あたしは……そうだなぁ、なんて名乗ろうかなぁ」 「今までの名前は捨てるのか?」 アンナが気遣うようにあたしに言った。 「うん。どうせ記号みたいなもんだったしね。……じゃ、アオイ。あたし、今日からアオイとしてお世話になります」 「いい名前だ。よろしく、アオイ」 アンナは立ち上がって、何か飲むかい、と訊いてきた。あたしは足下にあった荷物の脇に、置いてきたと思っていたマグカップが転がっていることに気づいた。 「あ、これにコーヒー淹れてもらえます?」 「砂糖とミルクは?」 「なし。ギンギンのブラックで」 「君の言語センスはおかしいね」 そう言ってアンナは笑い、あたしからマグカップを受け取ってキッチンへ移動した。あたしはふと、この部屋に窓があると気づいた。 「ア、アンナ……アンナ!ね、窓。窓、開けていい?」 あたしは窓に駆け寄って、アンナへ叫ぶ。鋼鉄製でもなく、防弾ガラス仕様でもなく、ただのガラスの窓が目の前にある。 「構わないよ。少し肌寒いかもしれないけれど」 あたしは聞くや否や窓を開け放った。あまりの勢いに、近くを飛んでいたらしい小鳥が驚きの声を上げる。アンナが言う通りの、涼しすぎるくらいの風が頬を掠め、あたしは碧い空を見上げた。 窓に遮られた、くすんだ色でしか見えない空じゃなくて、部屋の天井に青いペンキを塗りたくって作った偽物の空じゃなくて。空が見たかった。空を見たくてあたしはりょっちゃんを、撃った。 「……あ、」 一つ、嗚咽が口からこぼれた。そうしたら、次から次へと止まらなくなって、あたしは泣きじゃくった。 りょっちゃんを犠牲にしてまで見たこの空が、もっと醜ければ良かったのに、陳腐なものであれば良かったのに。 ――どうしてこの碧い空は、残酷なほど美しいのだろう。 冷たい風が吹き抜け、カーテンが揺れる。アンナは黙ってあたしの傍についていてくれた。 いつも隣にりょっちゃんがいた。この空みたいな深い碧色の瞳をした、思慮深いあたしの相棒。空を見上げるたび、あたしは彼を思い出すことをきっと止められないだろう。 〈了〉 |