アナタとワタシがいる。
アナタが泣いている姿を、ワタシは知らない。ワタシが泣いていることを、アナタは知らない。
連関する世界に咲く一本の山茶花が、このお話の始まりだ。

空き瓶に閉じ込められたような何もない世界に、山茶花はいた。
彼はうたうのが好きで、世界に一人きりしかいないからいつも好き勝手にうたっていた。
山茶花が一つ、気に入ったメロディを見つけて繰り返し口ずさむようになると、世界に風が吹くようになった。
その風は塵を含んでいるように、ざらざらとしたものだった。
風に吹かれると誰かの声が聞こえるような気がするのだが、いつ聞いてもその声は寂しげで、山茶花はうたうことが哀しくなってきた。

こっちゃ、こい。カラの世界の誰そ彼に
雨に唄えば山茶花の 花がふるえて零れだす
落ちた花びらどこへ行く?
落ちた花びらどこへ行く?

陰鬱な風は止まなかった。
もう、うたうのはやめよう、と山茶花が溜息をついた時である。

「あなたが、うたっていたの?」

真っ白な髪、真っ白な肌、真っ白な服。ただ、瞳だけが天青石のように輝く少女が現れた。
山茶花は、はじめて他人というものに話しかけられて、大層まごついた。

「……私の声が、聞こえていたのかい?」
「ええ。わたし、あなたの声に立ち止まったの」
「いいや、通り過ぎてしまった方がいいよ。この世界は、退屈だから」

山茶花は辺りを見まわした。ただ灰色の風が吹くだけで、山茶花以外は何もない。
少女は微笑んでこう言った。

「あなた、退屈なの? だったらわたし、ここの世界を変えてあげるわ」
「そんなことが……」

できるのだろうか、と山茶花は言いかけて、その言葉を飲み込んだ。
少女は山茶花の前にしゃがみ、ひそひそ話をするように顔を寄せて続ける。

「わたしは世界がいくつもあることを知っているの。あなたの知らない世界のことも。そして、彼らを呼び込む方法も」
「彼ら?」

少女はその問いには答えず、ゆっくりと立ち上がってうたいだした。

こっちゃ、こい。雨生のこどもはこっちゃ、こい。
雨に唄えば山茶花の 花がふるえて零れだす
落ちた花びらどこへ行く?
落ちた花びらどこへ行く?

山茶花の唄と同じメロディで、少女は滑らかにうたう。
ぽつり、と山茶花の葉に何かが当たった。
それが雫だと山茶花が気づいた時には、雨が降り出していた。

山茶花は目を疑った。落ちてくる雨粒の中に、光をまとった雫があった。
それは地面に到達する瞬間にヒトの形をとって、着地した。
何人も、何人も、それが続いていき、ぼうっとした瞳の彼らは方々へ歩き出した。
少女は、同意を求めるようにもう一度、無邪気に笑った。

山茶花は、まだ雨の意味を知らなかった。
自分の唄の内容が、善意で歪められてしまったことにも気づいていなかった。
だから、感嘆した声で「君はすごいんだね」と彼は少女に言った。

「退屈な気持ちなんて、きっとすぐになくなるよ」

得意げな表情をする少女を見て、山茶花はようやく彼女を年相応の存在だと思った。


アナタとワタシがいる。
別の世界のアナタとワタシは、縁で結ばれ暮らしている。
一度結んだ縁は、アナタとワタシを引き寄せる。
どんな世界にワタシの欠片が流れ着いても、アナタの欠片と出会うのだ。

――たとえ、涙降り落ちる世界でも。